函館女性センター 函館市女性センターは女性の福祉の増進や教養の向上、男女共同参画社会実現のための推進拠点です。

「人の意思や気持ちを尊重する社会」目指して…

親切はしたいけど…

夏休みに入ったせいか、国道を走る車の中に、他県ナンバーや二輪車の数が増えてきました。と同時に、札幌方面へ向かう歩道で、ヒッチハイクをする若者の姿も時折見かけます。観光地函館の住民としては、ホスピタリティを全開して、車を寄せて停車し、スマートに「どうぞ!」と乗せてあげたいところですが、警戒心が先に立ち、この親切は未だにできないでいます。

 

何年前のことかはっきりと記憶していませんが、知らない若者に大人が注意していきなり刺されたというような事件が報道された頃から、多くの日本人が面と向かって他人と関わることが少なくなったような気がします。

 

50代の筆者が小さい頃は、他人の家の子どもでも、悪さをすれば近所の大人に叱られたり、学校の帰り道に通りがかりのおじさんに「今何時ですか?」などと気軽に声をかけていたことが思い出されます。

 

基本的に、心配なことさえなければ、人は人と関わりたいのだと思います。ネット上で、会ったこともない人と「ともだち」や「恋人」になるという状況が起こっているのが、その一つの証拠ではないでしょうか。

 

どこの誰ともわからないヒッチハイカ―でも気軽に車に乗せてあげられるような安心な社会になるためには、みんなが「暴力」というものを理解することと、コミュニケーション力を身につける必要性をつくづく感じるのです。

函館男女共同参画メールマガジン「HAKODATE☆かがやきネット78号」(平成26年7月31日発行)より

人間(に・ん・げ・ん)

世の中は相変わらず、人が人を傷つけるという報道が後を絶ちません。病気や災害で命を落とすのではなく、友人同士や親子の間でも「殺害」という行為が行われることに狂気の沙汰を感じて空恐ろしくなります。

 

子どもが自分の言うことを聞かないから虐待する、悪口を言われて頭に来たからいじめたり殺したりする…。自分の個人的な都合や感情で人の命を奪ってしまうなんて、どう考えても行き過ぎた行為でしょう。

 

さまざまな面で「個人」が守られ、わがままも含めた「個人の自由」がまかり通る世の中ですが、自分が「人間」であることを意識し、「人間」は「人と人の間」で生きてこそ初めて人間なのだという認識を持っていたいと思うのです。

 

「間」が抜けた、ただの「人(ヒト)」にならないように、自分自身も気を付けながら「人間」としての生き方を次の世代にも伝えて行けたらと思います。

函館男女共同参画メールマガジン「HAKODATE☆かがやきネット77号」(平成26年6月30日発行)より

目からうろこ

お坊さんが運営する「坊主バー」というのが日本各地で流行っているようです。

そこでは、お坊さんがカクテルを作ったり、お客さんの愚痴を聞いて話し相手になり、さりげないアドバイスなどをすることもあると言います。

 

あるお客(Aさん)が「会社にムカつく上司がいるんです。」と愚痴を始めました。黙って話を聞いていると、その上司(Bさん)が、わざと意地悪なことや嫌がらせをしたりするわけではなく、Bさんの物の言い方や行動がAさんにとって気に入らないというような内容でした。

 

一連の話を聞いた後、「そこにいるのは、『ムカつく上司』ではなく、『上司にムカつく自分』なのではありませんか?」とお坊さんに言われて、Aさんは、ハッとしました。まさに目からうろこが落ちる思いをしたそうです。

 

腹を立てているのは自分だったこと。上司が自分の思うような人ではないから腹を立てていたこと。ということは、自分は物事が自分の思い通りになるなどと大それたことを思っていたのだろうかという反省。このことがきっかけで、Aさんは物の見方を少しだけ変えることができたそうです。

 

人はみな自然現象に対しては思い通りにならなくてもあきらめることができるものです。「人」は「自然」と同じで思い通りにならないものだということをいつでも心に留めておくと腹を立てることも少なくなるのではないでしょうか。

函館男女共同参画メールマガジン「HAKODATE☆かがやきネット76号」(平成26年5月31日発行)より

幸せのキーワード

以前、「ワークライフバランスの実現した世の中になるためには『理解』と『協力』が必要だ」、という内容のコラムを書きました。その後、いろいろな場面を思い出すにつけ、「理解と協力」というのは、ワークライフバランスのみならず、人が幸せに生きるために重要なキーワードなのではないかと実感したので、今回はそのことについて触れてみたいと思います。

 

高校時代、進路を決める時に、親が反対しているという理由で、第1志望の大学をあきらめた友人がいました。資金的な援助は全てしてもらって第2志望の大学に入学しましたが、あまり充実した学生生活ではなかったそうです。大学を卒業するまでの『協力』はしてもらいましたが、本当にやりたかったことを『理解』してもらえなかったことを、かなり長い間残念がっていました。

 

夫婦の話を例にとってみると、子育て中の妻が何かをしたいと思った時に、「いいよ」と『理解』を示す夫は多いものの、それをかなえるために必要な『協力』まではしてくれないためにイライラしている女性がいかに多いことか…。

「美容室に行きたいんだけど」「いいよ」「じゃあ、その間この子の面倒見ていてね」「あ、オレは出かけるから無理」「え~!!」…。協力のない「いいよ」は、「勝手にやればいいよ」と等しく、理解されている感がないので不満に思えるのです。

 

このように「理解と協力」は、両方がセットになって初めて喜びを運んでくれる行為となるのです。「理解を示したなら協力する」、「どうせ協力するならしっかり理解してから」、そんな風に心がけておくと、今よりもっと誰かの幸せにつなげることができる人になるのではないでしょうか。

函館男女共同参画メールマガジン「HAKODATE☆かがやきネット75号」(平成26年4月30日発行)より

能力の退化

夫は単身赴任、二人の息子は大学に進学して東京へ、現在一人暮らしの女友達(48歳)が、便利さの裏返しで、思わぬ事態に追い込まれた時の話です。

 

仕事帰りに買い物を終えて車を降り、マイホームの玄関の扉を開けて、やれやれと上がり口に荷物を置いたその瞬間に、なぜか物置に行く用を思い出して、扉が閉じる前に、さっと外へ出ました。用を終えて家に入ろうとしたところ、扉はウンともスンとも言いません。ハッとした友人、つい最近、防犯のために玄関の扉をオートロックにしたことを思い出したのです。

中からは開けられるけれど、外からは決して開かない仕組みのその扉は、一人暮らしの友人を手ぶらのまま外に締め出してしまいました。車のキーも携帯電話も、何もかもすべて、中の上り口に置いてきてしまったのです。

「さあ、大変だ」と、青くなりながら、一番近くに住む私のところに、助けを求めるため、30分もかけて歩いてやってきたのです。唯一、合鍵を持っている彼女の夫に連絡するために電話を渡しましたが、なんと、番号を記録してある携帯電話は家の中。番号を思い出そうにも、携帯電話に頼っていたので覚えていないとのこと。記憶を辿って、彼女の夫の電話番号を知っていそうな人をやっと一人見つけ出し、なんとか連絡を取ることができました。

結局、彼女は一晩私の家に泊まり、翌日、300キロも離れた町から夫が合鍵をもって駆け付けるまで、自宅に戻れなかったという結末でした。

 

このように、私たちは、普段、あまりにも文明の利器に依存しすぎて、自分の能力を使わない場面が数多くあると思います。この話は、携帯電話が普及する前には使っていたはずの、電話番号を覚えるという「記憶力」のことですが、ネットやその他便利な機器に頼ることを当たり前にしていると、「コミュニケーション力」や「計算力」、「想像力」などなど、培うべき能力が退化し、思わぬところに弊害をもたらしてしまうかもしれません。

 

便利な機器や道具は使い方を考えて、また、同時に人間の能力を鍛えることも忘れずに暮らしていきたいものです。

函館男女共同参画メールマガジン「HAKODATE☆かがやきネット74号」(平成26年3月31日発行)より

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