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コラム

「男女平等」について

「平等」の意味を辞書で調べると、「かたよりや差別がなく、みな等しいこと。また、そのさま。」とあります。人間についての平等を語ると、(同等や対等などとの混在も含め)様々な意見が飛び交うことと思いますが、「人は自分の意思と関係なく生まれ、老いて、必ず死ぬ」ということ以外に絶対的な「平等」などない、ということを、まず心に留めて物事を考えなければならないと思います。

私たちは、自分では生まれる時の性別も時代も親も選べないという現実をみてみると、「男女平等」というより「人は平等」ということが、最初から根底に備わっているはずです。(もっと大きく捉えると「命は平等」とも言えるでしょうか。)生まれた時はみんな平等のはずなのに、生まれたあとに差別や不平等感があるのは、社会のシステムやルールの問題です。古今東西、人の世は、長い間、男性優位の社会的な仕組みが続いて来たのは、体力的な「力」が世の中を動かしていたことに由来していたのでしょう。 

現代は、一部を除く多くの物事が、「力」より「技術」で動いています。まだまだ途上の問題もありますが、男性でも女性でも希望すれば、就きたい職業に就業可能な仕組みも出来てきました。社会のシステムやルールが少しずつ変化して、女性の活動や行動も産業革命以前に比べると、大きく様変わりしているのは歴然です。

「その割には、男性の変化が追いついていない。」という印象を持つ人が少なくないのは、男性優位社会で生きてきた人がまだまだ多いことや、ルールや仕組みを作っている機関に所属する女性の割合が少ないこと、社会の最小単位である「夫婦」や「家族」を構成する「個人」の考え方などに理由があるのではないでしょうか。

居心地の悪さを感じている個人が、身近なところでできることとしたら、男も女も「人」の存在は、初めから「平等」だということを踏まえて、夫婦や家族のルールを改めて見直してみることなのかもしれません。

函館男女共同参画メールマガジン「HAKODATE☆かがやきネット43号」(平成24年1月31日発行)より