例えば、「あなた」が乗っていた電車が急停車して、目の前に立っていた人に足を踏まれたとします。ちょっと痛かったけど、相手が「ごめんなさい!」と、すぐに謝ったら「いえ、大丈夫です。」などと言って、たいがいはそれで済むでしょう。しかし、足を踏んだ相手が知らん振りしていたら、「あなた」はきっと腹を立てるに違いありません。 それは、「あなた」の中に「人の足を踏んだのだから、謝るのは当然だ」という「思い」があって、その「思い通りにならない結果」に腹を立てるのです。ところが、相手が足を踏んだということに全く気づいていなかったとしたらどうでしょう?「なんだ、そうだったのなら仕方ない」と思えば、納得して怒りを鎮めることができるのではないでしょうか。
私たちの日常には、このような「思い通りにならないこと」に対する怒りが山ほど存在し、人を傷つけたり、挙句の果ては殺人にまで発展してしまう悲しい事件も跡を絶ちません。それを見るにつけ、自分の思い通りにならないことに怒る「勘違い人間」が少なからずいることに不安を覚えます。
例えば、遠足や運動会の日が雨になったからといって、空に向かって怒鳴っている人がいないように、人は自然に対しては思い通りにならなくてもあきらめることができるのです。テレビや洗濯機などの「人工物」がスイッチを入れても動かなかったら販売店に文句を言うのは仕方ないとして、人は「自然」と同じだと考えると少しは腹を立てる機会も減るのではないでしょうか?
夫婦間でも恋人間でも友人同士でも、人を「あなた」の思い通りにしようとすることは一種の暴力です。人にはそれぞれの「意思」や「気持ち」や「事情」というものがあるのですから、「人」も「自然」と同じと考えて、腹を立てない努力をしてみませんか?
函館市男女共同参画メールマガジン「HAKODATE☆かがやきネット21号」(平成22年6月30日発行)より