つい先日(3月19日)、たくさんの弟子を育て、上方落語の復興に尽力した人間国宝の落語家、桂米朝さんが89歳で亡くなりましたが、米朝一門の落語ファンである筆者は、通勤の車の中で、毎日落語のCDを聞き続けています。
さて、落語の中に「天災」という有名なお話があります。日頃から短気で知られる男が、自分の嫁と実の母親に腹を立てて殴り、離縁状を書いてもらおうとご隠居のところに駆け込んだところ、あきれた隠居が、近くに住む有名な心理学の師のところに行って話を聞き、精神修行をして来いと男を送り出します。
師「道を歩いていて、人に突き当たられたらどうする?」
男「そいつを殴りつけてやる!」
師「軒下を歩いていて、屋根瓦が落ちてきたらどうする?」
男「その家に怒鳴り込む!」
師「小僧さんが表で水を撒いていて、それが着物にかかったらどうする?」
男「その店に怒鳴り込む!」
師「では、周りに何もない広い原っぱでにわかの夕立ち、避けるところもなくびっしょり濡れた時は、誰を相手に喧
嘩する? 天と喧嘩をするのか?」
男「う、ん、…そいつは仕方ねえ、諦めるしかない」
そこで師は、道端で突き当たられたことも、屋根瓦が落ちてきたことも小僧さんに水をかけられたことも、わざとではない、それを「天災」と思い、何事も勘弁することだ、と教えるのです。
なるほど、天とは喧嘩ができません。空に向かって怒鳴っている人など見たこともありません。
何かで腹が立った時、この話を思い出して、「それは『天』がしたこと、これは『天災』」と、心の持ちようを切り替えて、日常の生活にうまく活かしてみてはいかがでしょう。
函館男女共同参画メールマガジン「HAKODATE☆かがやきネット88号」(平成27年3月31日発行)より