PTAや保護者懇談会等で学校へ出向く機会が多いこのごろ、報道されている事件やテレビドラマなどの影響もあるのでしょうか、よく「いじめ」に関する話題を耳にし、そのたびに考えることがあります。
文部科学省では、「いじめの定義」を『当該児童生徒が、一定の人間関係のある者から、心理的、物理的な攻撃を受けたことにより、精神的な苦痛を感じているもの。』とし、個々の行為が「いじめ」に当るか否かの判断を細かく定めています。教育現場では、学校内で「いじめ」があったとか、なかったとかを、その定義と照らし合わせて必死に判断しようとします。そして「本校では、いじめの事実はなかった。」などと言って、そこで終わりにしようする例もあるようです。
「虐める」(弱いものを苦しめ、痛めつける。つらく当る。)という、悪いおこないを表す言葉が、いつからか『いじめ』という名詞に変わり、ある意味、罪悪感の少ない印象を受けることばになってしまっているのかもしれませんが、いじめは『暴力』です。暴力とは、怖がらせ、操る『手段』です。いじめること自体が目的なのではなく、その先に、(自分が優位に立ち、)相手を支配しようという『目的』があることを覚えておかなければいけません。
学校は、あるいは大人は、いじめがあったか、なかったか、という判断に多くの時間をかけるより、『いじめ』はDVや虐待と同様に『暴力』であり、決して「してはならないこと」という認識を子どもたちに持たせることに、充分な時間をかけて教えていかなければいけないのではないかとつくづく感じています。
函館男女共同参画メールマガジン「HAKODATE☆かがやきネット61号」(平成25年4月30日発行)より