夫は単身赴任、二人の息子は大学に進学して東京へ、現在一人暮らしの女友達(48歳)が、便利さの裏返しで、思わぬ事態に追い込まれた時の話です。
仕事帰りに買い物を終えて車を降り、マイホームの玄関の扉を開けて、やれやれと上がり口に荷物を置いたその瞬間に、なぜか物置に行く用を思い出して、扉が閉じる前に、さっと外へ出ました。用を終えて家に入ろうとしたところ、扉はウンともスンとも言いません。ハッとした友人、つい最近、防犯のために玄関の扉をオートロックにしたことを思い出したのです。
中からは開けられるけれど、外からは決して開かない仕組みのその扉は、一人暮らしの友人を手ぶらのまま外に締め出してしまいました。車のキーも携帯電話も、何もかもすべて、中の上り口に置いてきてしまったのです。
「さあ、大変だ」と、青くなりながら、一番近くに住む私のところに、助けを求めるため、30分もかけて歩いてやってきたのです。唯一、合鍵を持っている彼女の夫に連絡するために電話を渡しましたが、なんと、番号を記録してある携帯電話は家の中。番号を思い出そうにも、携帯電話に頼っていたので覚えていないとのこと。記憶を辿って、彼女の夫の電話番号を知っていそうな人をやっと一人見つけ出し、なんとか連絡を取ることができました。
結局、彼女は一晩私の家に泊まり、翌日、300キロも離れた町から夫が合鍵をもって駆け付けるまで、自宅に戻れなかったという結末でした。
このように、私たちは、普段、あまりにも文明の利器に依存しすぎて、自分の能力を使わない場面が数多くあると思います。この話は、携帯電話が普及する前には使っていたはずの、電話番号を覚えるという「記憶力」のことですが、ネットやその他便利な機器に頼ることを当たり前にしていると、「コミュニケーション力」や「計算力」、「想像力」などなど、培うべき能力が退化し、思わぬところに弊害をもたらしてしまうかもしれません。
便利な機器や道具は使い方を考えて、また、同時に人間の能力を鍛えることも忘れずに暮らしていきたいものです。
函館男女共同参画メールマガジン「HAKODATE☆かがやきネット74号」(平成26年3月31日発行)より